ラ・ピュセルと聖剣

 ジャンヌ・ダルクはその生涯において5-6本程度の剣を使用したとされています。
100年戦争に置いて荒廃していたフランスの当時の状況で”救国の英雄 聖ジャンヌ”は
戦争に疲弊した人々のすがるべき対象として適役だったように思われます。

お告げを受けて王太子シャルルを即位させるため宮廷に赴き人々に紛れた王太子を一目で見抜き
自分の剣はお告げによって聖カトリーヌ・フィエルボワ教会にあるといって実際に剣を掘り出してみせます。
この一連の不思議な事件によって懐疑的な人々はジャンヌに従うとこととなりました



実はこの時宮廷にはジャンヌの二人の兄ジャンとピエールがいました。
つまり事前に王の企みをジャンヌに知らせることができる立場にいました。
また剣を発見した時にも二人の兄達は一緒に教会まで赴いています。
そのためこれは”救国の英雄 聖ジャンヌ”をつくるためジャンヌ・ダルクの一家が全て仕組んだものという説があります。

カトリーヌ・フィエルボワの聖剣は一般的に5本の十字架が刻まれていたとされますが
カラスと樫の木の紋章も刻まれていたという説があります。これはケルト民族において聖なる文様です。またオルレアンの生家には「妖精の樹」と呼ばれる楢の木や妖精が出没する泉がありこうした古いケルトの民間信仰と共に育ったことがジャンヌの裁判記録に記されています。

もしかしたらジャンヌの一家はケルト民族であり、ケルト民族の再興や国家の樹立など考えていたのかもしれません。
戦争によって混乱していた英・仏の中で絶対的なカリスマはそれぞれの国家のケルト民族をまとめることができたかもしれません。

ジャンヌの出自に関する詳細な裁判記録はバチカンで封印文書となっており、未だに公開されていません。

0 コメント :

Post a Comment